幼児虐待とモラハラの共通点

学生の頃、ラジオ講座で英語の勉強をしていて、ある月のテーマが「幼児虐待」だったのですが、子供ながら、なぜ大人は自分の子供を虐待するのか不思議で、幼児虐待が現実のものとは思えませんでした。
アメリカではそういう議論があるのかもしれないけど、当時の日本では、幼児虐待はそんなにニュースになっていなかったように思います。(自分が子供だったので、あまりニュースを見ていなかったかもしれませんが……)
「アメリカがくしゃみをすると日本が風邪をひく」と言われていますが、その英会話の勉強のあと数年して、日本でも幼児虐待のニュースを度々耳にするようになった時に、「日本もアメリカみたいになってきた!!」と衝撃を受けたのを今でも覚えています。

私は教育の専門家ではないので、どういう流れで幼児虐待が起こるようになったのかは分析できるわけではないですが、少子化で1人1人の子供を大切に育てるうえで、子供が親の思い通りにならない時に、「可愛さ余って憎さ百倍!」で子供を力づくで自分の思い通りに動かそうと思うところから、暴力が日常化してきて虐待につながるケースもあるのではないかと思います。

職場においても、私はトップですが、自分の思い通りに物事が運ばない時に、力づくで思い通りに進めたい衝動に駆られることがあります。
今の時代、法律的な労務関係や求人難の為、経営者よりも勤務している人の方が、ある意味力があるともいえるので、私がトップの権限を利用して力づくで社員を無理やり動かすことはありませんが、そういうことが可能であれば、安易にその力を利用することは想像に難くないです。
もう100年早く生まれていたら、私は暴君になっていたかもしれません(笑)

親の立場からすると、「子供のことを思って……」という大義名分のもとで、子供を力づくで自分の思い通りに動かそうと考えることは日常茶飯事のような気がします。
大人も子供も他人からコントロールされたい人はいないと思います。
イソップ童話の1つに「北風と太陽」のお話がありますが、無理やりにコートを脱がせようとする行為があるレベルを超えた時に、それは「幼児虐待」や「モラハラ」につながってくるのだと思います。
「北風と太陽」のように自分から行動させることは容易なことではないでしょう。
しかし、今の時代は、北風のやりすぎは犯罪になってしまう時代なので、簡単ではなくても太陽の手法を身につけていくしかないのかと思います。

 

 

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