いよいよ日本のワールドカップの一次リーグが、最終戦のスペイン戦だけになりました。
ドイツ戦では前半が終わってハーフタイムで「多分、このまま負けるんだろうな~?!」と感じて夜の12時近いこともあってTVを観るのをやめて寝てしまいました。
次の日に日本が大金星をあげたことを知って、「後半戦も見ればよかった!」と後悔したので、コスタリカ戦は夕方の観戦しやすい時間ということもあって、家族でテレビを観戦しました。
そしたらまさかの敗戦で凄く落ち込みました。
ドイツ戦では観戦しなかったことを後悔し、コスタリカ戦では負けたことでショックを受けて自分の感情が大きく動いたので、自分を振り返るいい機会になりました。
まずは、ドイツ戦で、前半を観ていて「これでは前評判通りにドイツには負けるだろうな~」という判断で、後半戦を観ないで寝てしまった自分と、最後まで観ていた人とは何が違うのだろうと考えました。
日本が勝つことが分かっていたらほとんどの人は最後まで観たと思いますが、前評判や世界ランキングと前半終了時点で1点ビハインドという状況で後半を観れる人は、暇ですることがない(失礼)とか、サッカーが好きかどうかという視点は置いとくとしたら、自分視点で見ていると負けて嫌な気分になりたくなければ、観るのをやめてしまうような気がします。
一方、選手の為、日本の為に応援するという視点でいると、勝とうが負けようが最後まで応援すること自体に意味があると思います。
自分視点の人は「勝つんだったら観るけど、負けるのだったら観たくない」となります。
一方、他者視点で日本代表の為、日本の為と思えば勝敗に関係なく応援したいと思うでしょう。
次にコスタリカ戦に関して、私的には「格上のドイツに勝ったんだから、今までも負けたことのない格下のコスタリカに負けるはずがないから、ドイツ戦で味わえなった喜びの瞬間を味わいたい!」という自分視点からコスタリカ戦を観戦していたような気がします。
それがまさかの敗戦で、負けることを想像していなかったのであの結果を受けてショックだったのだと思います。
仕事をしていてよく感じることに、この行為は利己なのか利他なのかという判断です。
患者さまに対してやスタッフに関して、この説明は相手の為に言っていることなのか自分を守る為に言っているのか自問自答することがあります。
自分の中で利他と思えれば迷いが払しょくされますが、利己ではないかと思うと心理的に動揺して、言動が躊躇されることがあります。
世の中の行為って、利己100%のものは必ず失敗しますが、心の中では利他だと思っていてもどこかで自分の為にもなっていて結果的に利己になることがたくさんあります。
指導や教育などは、相手の為と思わなければ、相手に耳障りの悪いことは言いにくいものです。
そして相手の為と思ってやった言動が、結局は予想外に自分の成長に大きく関与していることが大半です。
ワールドカップのドイツ戦も日本や代表選手を応援するという利他の気持ちで見ていれば、おまけとして勝利という感動がプレゼントされたのかな~と思いますし、コスタリカ戦でも負けたとしてもドイツに勝った偉業はなくなるものでもないですし、次のスペイン戦に向けても前向きに応援する姿勢が保てるのかとも思います。
結果に一喜一憂するのが人間です。
誰でもいい結果は欲しいですが、結果を自分でコントロールできない以上、自分でコントロールできるのは「何のためにしているのか?」という目的意識だと思います。
3度目の正直と言いますが、ドイツ戦、コスタリカ戦では自分視点で観戦していましたが、スペイン戦では日本代表を応援するという他者視点で観戦してみようかと思います。
結果は大事ですが、結果に一喜一憂しない見方ができるのかどうかを自分を実験台にして試してみようと思います(笑)