採用面接をしていると、ほとんどの人が「成長できる環境で勤めたい」と言われます。
そんな時に、「成長とは何を意味するのだろう?」と考えることがあります。
多くの人にとって「できなかったことができるようになること」がわかりやすい成長の定義のような気がします。
仕事においてできなかった仕事が、経験を積んでいくうちにできるようになると成長を実感します。
しかし、できないことができるようになった時に、常に今の自分にできないことを探し続けることはある意味不可能な気がします。
歯科医師になって、普通の虫歯の治療ができるようになって、その後難しい親知らずの抜歯に取り組んだり、インプラントや矯正治療に取り組むパターンが歯科医師では多いです。
治療の幅を広げることが1つの成長のバロメーターのように感じる時もありましたが、治療の幅が広がることと人間としての幅が広がることとは何の関係もないように感じることがありました。
歯科医師としては有名でも、人間としては評判が悪いということはよく耳にします。
歯科医師だけでなく一般の経営者やスポーツ選手でも、プレーヤーとしての評価と人間的な評価は別物のような気がします。
プレーヤーとしての評価には、ある意味持って生まれた「才能」が関係しますが、人間としての評価では「才能」よりも「性格」や「日々の生き方」が関係してきます。
学生時代には勉強ができると評価されますが、人間的な評価として勉強で評価される場合には、高い点数を取ることよりも何のために勉強するかで、その人の評価が分かれると思います。
「できなかった仕事ができるようになる」成長よりも、自分は「何のためにこの仕事ができるようになりたいのか?」と向き合う方が、人としての成長につながる気がします。
とはいうものの、そんな理屈をこねなくても、まじめに仕事をしていけば、日々いろんな壁や障害が出てきます。
そんな時には、目の前のことで必死になっているので余計なことを考える余裕はなくなってきます。
避けたいこと、逃げ出したいことが目の前に現れたときに、人は「成長したい」とは考えないです。(笑)
目の前のことと向き合うことでいっぱいいっぱいの時には、逃げ出さないための気持ちのコントロールにすべてのエネルギーが使われてしまいます。
そうやって必死の時間を耐え抜いているうちに周りから見ると、「あの人変わってきたね、成長してるね!」と周りから評価されるようになっていくのだと思います。
「成長する」というのは結果であって目指すものではないような気がします。
「成長したい」と言えている時は心に余裕があるときで、実際に成長している時は自分の限界を超えるためにやせ我慢したり、背伸びした状態を維持しようとしている時なのではないでしょうか?
やせ我慢したり、背伸びした状態を維持しようとすることはしんどいです。
このしんどい状況を乗り切ったり、それが普通になった時に周りから「あの人変わってきたね、成長してるね!」と評価されるようになっていくのだと思います。
「成長する」とは逃げないでやせ我慢したり、背伸びし続けた結果得られる副産物なのです。
これは筋トレと同じですね。
体の筋肉を増やしたいときは筋トレして、心の筋肉?を増やしたいときには、やせ我慢と背伸びをし続けるしかないのだと思います。
成長よりも大切なので、背伸びとやせ我慢なのではないでしょうか?!