「男と女は一生分かり合えない!?」

「男と女は一生分かり合えない」ということを耳にしたり文字で見ることがあります。
男と女は同じ人間だと思ってはいけない、男と女は地球人と宇宙人ぐらい違う生き物だと思って接触していけば行き違いがあっても「宇宙人だからしょうがないか!?」と諦めもつくけど、同じ人間だと思うから頭に来るんだ、という文章を目にしたことがあります。
「話を聞かない男、地図が読めない女」が以前ベストセラーになって、男性と女性の違いを書かれていましたが、「分かり合えない」という点で考えれば「男性と女性」に限ったことではないと思います。
「生徒と教師」「親と子供」「医者と患者」「職人と売り手」「上司と部下」「経営者と従業員」etc

そもそも人と人が交われば、完全に分かり合うことは不可能です。

「気の合う人と気の合わない人の違いは何%くらい違うのか……?」と考えたことがあります。
いくら気の合う人でも自分とは違う環境で育った他人なので,70~80%も分かり合えていたらすごいことだと思います。
私の中では、「気の合う人」と感じている人でも、実際に分かり合えるのは60%ぐらいなのではないかと思っています。
一方、「この人とは気が合わないな~」と思う人でも、よくよく話をすれば40~50%は分かり合える部分があるのではないかと思います。
人間ってこの10~20%の違いを「気の合う人、気の合わない人」と区別をしているような気がします。
その証拠に、嫌いだった芸能人が「案外いい人かも!?」と簡単に好きな人に代わることは日常茶飯時にあるのではないでしょうか?!

アドラー心理学では「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」と言い切っていますが、絶対に100%は分かり合えない人と人が接触すればそこには必ず悩みが発生します。
(60%は分かり合っていた)気の合う人とでも、40%の分かり合えない部分では、衝突や問題が発生していきます。

「話をするのは理解の始まり、話さないのは誤解の始まり」という名言がありますが、どんなに気の合うと思っていた友達でも、疎遠になって話をしなくなれば気の合わない人の分類になってしまう可能性もあります。

自分が学生だった時には先生の立場や気持ちに反発していても、自分が大人になった時には、厳しかった先生に感謝したり自分の言動を後悔したりするものです。
10代の生徒の時から先生の気持ちがわかる学生はなかなか存在しないでしょう。(笑)
親子も一緒で自分が大人や親になった時に、こんなに大変な思いをして育ててくれたんだと気が付き感謝できるようになってくるものです。
医者と患者においても、自分が施術側の時には気づかなかったことが、自分が病気して患者側の立場になった時に初めて、自分がしていた行為を反省するものだと思います。

最近、経営者の話を聞いていると「視座を高める」という単語をよく耳にします。
昔は「視野を広める」と言われていましたが、最近では「視座を高くする」と言われることが多くなってきています。
「視座」とは、「物事を眺め、それを把握するときの立場」のことらしいです。
「視座を上げるには、どうすればよい?」の 結論はシンプルで、「1つ上の立場から考えること」らしいです。
社員なら上司の目線、マネージャーなら社長の視点、社長なら業界の視点、です。
自分がもし1つ上の上司になったとしたら、何を考えて、何に悩んで、何を見ているだろうか?と想像するのが視座を高める方法らしいです。

ちなみに視点と視野と視座の違いは
「視点はどこを見ているのか、視野はどこまでを見ているのか、視座はどこから(どの高さから)見ているのか、」ということらしいです。

「人は分かり合えない、立場が違えば見え方も違う、人は人間関係で悩むものである」という前提で生きていけば、深く悩みたくなければ「だからどうすればいいのか??」を工夫していくしかないでしょう。
極力、話をして理解できる範囲を増やすのか、自分の視座を高める努力をしていくのか、失敗して痛い目にあいながら1つずつ学んでいくのか、、、、、etc

 

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