自分は経営者として、スタッフに頑張って働いてもらわないといけない。
自分は父親として、子供に頑張って勉強したり生きてもらわないといけない。
そもそも自分は人間として、頑張って生きていかないといけない。
そう思うと、スタッフに対して、子供たちに対して、自分自身に対しても、「頑張る理由」を提供していかないといけないと思っています。
順番としては、まずは自分自身が頑張れないのに、自分以外のスタッフや子供に対して「頑張れ!!」とは言いにくいものです。
これまで自分が頑張ったと思えることを棚卸した際に、「どういう理由で頑張れたのだろう?!」と思い出していくと、子供時代や若い時には、「異性にもてたい」「お金持ちになりたい」「優越感を感じたい」「何者かになりたい」等利己的な理由が100%を占めていた気がします。
それが年齢を重ねていくうちに、その理由では頑張れなくなってきて、毎日、生きていくのがしんどくなったり「頑張らないで楽をすることばかりを探す」ようになってきていました。
「頑張らないで楽をすることばかり探す」ようになると、究極、嫌なことがあった時などは、「生きているのはしんどいことのほうが多い!」だから「死んだほうが楽なのでは?!」ということが頭をよぎることも出てきます。
でも実際には、死のうとまでは思わないので、どうにかして「頑張る理由」を探そうとします。
上記のような、若い時の頑張る理由で気持ちを高めることが難しくなってきたときに、ちょっとしたきっかけで、自分以外の他人に喜んでもらえることに生きがいを感じる経験をすることがあります。
そんな時に、若い時にはあまり感じなかった喜びや快感を感じた際に「これからはこういう感覚を得るために頑張れるのではないか!?」「自分のためよりも誰かのための方が頑張れるかも?!」と感じる時があるような気がします。
若い時の利己的な「頑張る理由」と年齢を重ねてからの利他的な「頑張る理由」とでは、どちらの方に価値があるということを言いたいのではありません。
最終的には「人生は頑張ったもの勝ち!!」のような気がします。
利己的な理由でも利他的な理由でも「頑張ったもの勝ち!!」なのです。
利己的なモチベーションで10のエネルギーで頑張れて、利他的な気持ちで7しか頑張れないのであれば、絶対に利己的なモチベーションで頑張る方がいいと思っています。
60歳70歳になっても紀州のドンファンのように「異性にもてたい!」が「頑張る理由」でも全然問題ないですし、若い時から「自分のためよりも誰かのための方が頑張れる!」という人も世の中にはたくさんいるような気はしますが、一般的には、人間は年齢とともに価値観が変わってきますので、若い時には利己的な理由に後ろめたさを感じる必要はないので、自分の気持ちに正直に「異性にもてたい」「お金持ちになりたい」「優越感を感じたい」「何者かになりたい」等利己的な理由でどんどん頑張られたらいいと思います。
人生100年時代に、「上記の理由では頑張れない!」と感じた際に、違う「頑張る理由」を捜せばいいのだと思います。
普段の平和な時には「頑張る理由」がなくても生きていけますが、嫌なことがあった時に「頑張る理由」を持っている人は気持ちが切れないような気がします。
私自身、もうすぐ60歳ですが、「頑張らないで楽をしたい」という気持ちと常に葛藤していますが(笑)、その気持ちに流されてもいいことは何もないのはわかっているので、「生きている限りは頑張るしかない」のであれば、自分が納得する「頑張る理由」を日々捜している感じです。
若い時には「自分探し」という言葉をよく耳にしますが、年齢を重ねて行くと「自分探し」よりも「頑張る理由捜し」の方が切実な悩みなのかもしれないです。